2020年04月07日

気まま旅『 その弐壱 徳島県 その二 』M38泉谷忠成

『 その弐壱 徳島県 その二
 』



徳島の歴史を語るとき、藍を除いて語れないと思います。
阿波藍栽培のはじまりは、平安時代から始まったと言われています。とくに戦国時代は武士のよろい下を藍で染めようと、藍の需要が高まり、藍玉の加工が本格化し、その後徳島藩では藍の生産を奨励、その収入で藩の財政を確立するまでになった、との事です。

元禄期は全国的に綿作と木綿生産が普及し、阿波藍生産の大発展をもたらせましたが、明治30年代にはドイツから科学染料が大量に輸入されたため、衰退期に入って行きました。しかし、いま又天然染料の良さが見直されています。
徳島は、この藍染めの元となる藍染料「蒅(すくも)」づくりの本場として、現在もその伝統が引き継がれています。

デニムの生地は岡山県井原市・広島県福山市が一大産地 ジーンズの生産は岡山県倉敷市児島地区 現役時代はいずれも再三訪問した事を覚えています。岐阜の取引先では出来上がった製品をダメージ加工して表情を出す洗い加工、刺繍など懐かしい思い出です。
 更に藍色は、現東京オリンピック・パラリンピックの公式エンブレムカラーになっています。




近くの公園の桜です
徳島2.jpg
posted by はくすい at 15:44| Comment(0) | 旅だより

2020年03月31日

M35宮坂正春氏 執筆の青春小説『虹のかなたへ』連載第2章始まる!その二 悲しみと苦しみ(63)M35宮坂正春

その二 悲しみと苦しみ(63)
 
 病院に駆けつけた時、祖父はすでに息を引き取っていた。伯父の恵介一家は勿論、親戚が数名ベッドの横に集まっていた。
「おじいちゃん・・・」
叫ぶ目から涙が溢れた。先日、ここで祖父と言葉を交わしたのが最後であった。昨年の六月以来、祖父にはお世話になり通しであった。今、こうして剣道が出来ているのは、公介の助力の賜物なのである。
「あ、二郎ちゃん、来てくれたのねえ。おじいちゃん、とうとう逝きはったワ・・・。お母さんにも連絡が付いてね、今夜、遅うなるけど帰ってるって言うてたよ」
伯母の由美が言った。娘の恵美子がそばに寄ってきた。
「お兄いやん・・・。おじいちゃん、死んでしもたんや・・・」
腕にしがみつき『ワーッ』と声を挙げて泣き出した。
「そうやで・・・。おじいちゃんはもう、居たはれへんのやで・・・」
ポロポロと涙をこぼした。もうあの豪快な笑顔は見られないのだ。そう思うと余計に悲しかった。

  

つづく


学校の桜も満開近し^^
IMG_6013[1].JPG
posted by はくすい at 15:14| Comment(0) | 虹のかなた

気まま旅『 その弐壱 徳島県 その一 』M38泉谷忠成

『 その弐壱 徳島県 その一
 』




徳島市内の呉服店のオーナーから将来を考え、息子夫婦達(未経験)に婦人服のお店を創りたい、と相談を受けました。早速会社に報告しましたが許可を貰えず、後継の若者の熱意に、無償で応援することになりました。
S/C出店に併せ通路含まず実質約40坪強の婦人服専門店を出店することになりました。
店舗設計・レイアウト・棚什器の発注(細部にわたる寸法指示まで)・品揃え計画・取引先(東京を中心とした評判の高い専門店取引先で構成)の紹介張り付け・すべてを具体的に指示、発注作業などは息子夫婦達に、と大変な作業になりましたが、さすがに熱意が伝わったのか素晴らしいお店をオープンすることが出来ました。
オープン初日から大変な人気店に!大成功。四国内・他地域からも見学に訪れるほどのお店になりました。
会社からは慌てて遅れての許可の形になりました。
現在はさらに事業を拡大し、徳島市内にコンビニ店を10数店開店するまでに至っています。非常にリスクのある事でしたが、若者の熱意が成功に導いたと思っています。
年賀状が今でも届きます、嬉しい限りです。


宅近くの公園のカモメです
徳島.jpg
posted by はくすい at 15:01| Comment(0) | 旅だより