大阪白水会の事務局からのお知らせやホットな情報を掲載します。
2021年05月06日
『 わが町・愛する大阪 その四 』
一寸法師物語(お伽草紙の中で読まれています)童謡でも歌われあまりにも有名な物語になっています。
「一寸法師童謡の一節」
ゆびにたりない一寸法師 ちいさい体に大きな望み 京は三条の大臣殿に かかえられる・・・・・
ちいさい体に大きな望み!
一寸法師はどこから出発して京へ上ったのか、
一説には実際にあった話から戯曲化し、おとぎ話にしたとの事。
であればなおの事、どこから出発したかを確認したかった。
現在の住之江区の安立商店街には大きく看板が掲げられ、この安立から出発したとあり、一般化しています。
よく調べてみると、昔、安立は針職人が多く住む町で、町の宣伝のために一寸法師を利用、あやかろうとしたのが始まりだそうです。
現在の道頓堀辺り、ともあり諸説が分かれています。図書館で原文を読むことにしました。
<原文の一部>
「住吉の浦より、御器を船としてうち乗りて、都へぞ上りける。
住みなれし難波の浦を立ち出でて都へいそぐ我が心かな・・・」
一寸法師が住んでいた難波の浦とは現在の三津寺から難波付近、立ち出でて即ち道頓堀川だともいわれています。
・原文からの注釈には、ここでの住吉の浦は昔の高燈籠あたりと思われる。
今、安立から出発となっているが安立の針やが宣伝のために一寸法師の櫂を針になぞえ宣伝したのが始まりである。
実際は高燈籠の前あたりと思われる、とありました(私の出身地です)。
当時は京へ上って成功するのが夢、今の私達は世間から注目もされない一寸法師かもしれません、そんな私達も世界に飛び出すのが夢、私もそんな思いだったかもしれません。子供たち孫たちも世界を目指してほしい、それが私の夢・思いです。
後輩の方たちも必ずや世界で活躍される方が続々と続かれると思います、夢が拡がりますね!どんな世界が待っているのか?
楽しみが拡がりますね! 完
長きに渡り、貴重な旅の体験記録と教訓をありがとうございました。
将来的には泉谷さんの旅だよりをいつでも見れるよう、HPのバーナーに再upする予定です。お楽しみに!
posted by はくすい at 14:18|
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旅だより
2021年04月27日
『 わが町・愛する大阪 その三 』
今回は日本最初の灯台、「高燈籠」について触れてみたいと思います。
鎌倉時代末期の創建(今は国道26号線の所に移転)私の子供の頃には高燈籠脇に昔の難破船が放置されていました。
写真がないのが残念です。
当時の「住吉(すみのえ)の津」日本最古・最大の国際港 大阪は都として歴史上最も古く、日本最大の文化・商業都市でもありました。
大阪から瀬戸内海を回り、北陸能登半島、北海道釧路迄の北前船が有名ですね。
又、「古代シルクロード」の日本の玄関 遠くはローマから中国(西安)〜住吉(すみのえ)の津を結ぶ海の交易路 ここ住吉の津には『剣先船』の石碑が高速道の下(元高燈籠脇)に現存しています。
遣隋使・遣唐使―中国交易の出発地でもありました。
住吉の津から出発し難波高津宮へ向かい難波の津から瀬戸内海を九州へ、そして中国大陸へと向かっていったようです。
又、イタリアローマ〜中国を経てこの住之江の地に上陸、水先案内船『剣先船』の案内で細江川(住吉大社脇)を上り現在の柏原市あたりの岩場を通り抜け、そこから旧大和川につながり、船を乗り換え大和桜井の地に上陸、奈良法隆寺などへ向かったそうです。
今の大和川は海に直接つながっています。この事はある大学の名誉教授からもお聞きしています。
posted by はくすい at 14:15|
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旅だより
2021年03月25日
『 わが町・愛する大阪 その二 』
大阪住吉の地に汽車が走っていたのをご存知でしょうか?
明治33年、大阪馬車鉄道が天王寺西門前〜東天下茶屋間を開業したのが始まりだそうです。
明治35年には住吉神社前まで延伸されています。
明治40年には大阪電気軌道と名称変更、馬車から汽車に、堺まで延伸されています。
更に現在の阪堺電気軌道(株)に!
私の祖祖父は明治31年までその地で料理旅館「禊館」を営んでいましたが使用人の付け火で大火ほぼ全焼。
その後、祖父は残った建物の一部を住吉高燈籠脇に敷地内の中での移動、料理旅館「仁鶴」として移転しています。
私の親父は大正4年そこで長男として誕生しています。
当時の「仁鶴」は3階建て、親父の話では日本で初めての映画の現地ロケとして市川ももの助・歌川八重子などが来られての撮影だったそうですが、実際に初めてであったかどうか? 確認は取れていません。
子供の頃の親父は自分の名前を少し大きくなるまで「ぼんぼん」と思っていたそうです。
大阪天下茶屋出身の笑福亭仁鶴の名前もここからとったのではないか、と勝手に想像しています。(ごめんなさい)
「仁鶴」は超有名な料理旅館だったそうです。
「仁鶴」の名物料理(親父に聞いた話)
堺大浜で荷揚げされた鯖(さば)を荷車で飛ばし、客を待たせておき陸揚げ30分以内で料理、お客様に出すのが最高のおもてなしだったそうです。
鯛は超新鮮なものを瞬時に料理、お客の前で皿の上の鯛(たい)の目に酢を一滴落とし、鯛が飛び跳ね又元の状態に戻るのが自慢のワザだったそうです、これは誰もまねの出来ない超技だったそうです。
<付則> 私の祖父は戦後の昭和21年(終戦昭和20年8月15日)進駐軍のジープにはねられ即死、私の2才の頃の事、我が家の人生も大きく変わりました。
親父も家を飛び出し、莫大な財産(今の住吉公園から高燈籠あたりまで)もバラバラになってしまっていす。
私の中学生の頃一本の電話があり、交通事故の保証金として10万円ポッキリ送られてきました、10数年たっての話です(戦後当時の金額での保障だったようで、お金の価値も大きく変わっていました)。
悔しいが事実であることを再確認しました。
汽車が走っています
posted by はくすい at 15:25|
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