2021年03月18日

気まま旅 『 わが町・愛する大阪その一 』M38泉谷忠成

『 わが町・愛する大阪 その一』

最初に、わが町大阪を昔の人はどの様に見ていたのか歌で紹介したいと思います。

祝い歌
「高砂や」―高砂や この浦舟に 帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに 出潮(いでしお)の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はやすみのえに 着きにけり はやすみのえに 着きにけり ・・・・・・

この祝い歌、結婚式などではよく歌われています。
高砂をはじめ大阪住吉は、謡曲の中にしばしばとりあげられています。
「白楽天」「岩船」「雨月」「梅枝」「住吉詣」、を始め多くの曲に、住吉・住之江が舞台となりました。
※「住吉」昔は「すみのえ」と詠みました。

◎更に新古今和歌集「住吉の松はまつともおもほえて君か千年のかけそ恋しき」
◎古今和歌集「住吉のはまの海松もわすれぬば かりにも人に又とはれぬる」
◎伊勢物語「雁鳴きて菊の花咲く秋はあれどはるのうみべに住吉の濱」などなど

親父の子供の頃はこの住之江の浜も一面にあやめが咲き誇り、住之江の浜から現在の大和川辺りまで咲き誇って、日本中から観光客が訪れていたそうです(昭和初期)

更に日本で最初のアカシヤの並木(昭和15年ごろまで)、現在その面影もなく今では札幌のアカシヤ並木が有名になっています。

私の子供の頃はあちらこちらに沼地、その沼地には蛇蛇蛇、石を投げて遊ぶのが楽しみでした。

その後埋め立ても進み、大阪湾として海外との海上貿易の拠点になって行きました。




私の生まれは昭和19年、誕生の数年前までの話です
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M35宮坂正春氏遺作 青春小説『虹のかなたへ』連載第2章 その二 悲しみと苦しみ(99)

その二 悲しみと苦しみ(99)
 
練習に明け暮れし、七月になると期末考査がある。一学期ぐらい過ぎるのは早いものである。今年の夏は殊の外、暑そうである。
 この月末には、高体連による暑中稽古が三日間開催されるのだ。昨年は、まだ部活が無かったので、高体連からの連絡も受け取っていなかった。それで、その存在さえも知らなかった。
「ええか、お前たち。暑中稽古に必ず参加するんやぞ。俺も参加するから、サボッてる奴はすぐ分かるんやぞ。もし、そんな奴を見つけたら、合宿の時、思いっきりシゴいてやるからなっ! 」
剣持先生は、恐い顔をして部員たちに脅しをかけた。そこまではっきりと言われると、部員たちに逃げ道はなかった。
「ハイッ! 必ず全員参加します! 安心してください」
部長として、そう言うしかなかった。
 「えらいことになったなあ・・・。こんなんやったら、夏休み中どこへも行かれへんやないか。泳ぎにも行かれへん」
苅川が愚痴をこぼした。弱音、愚痴は苅川の特技なのか。
「大丈夫やで。お盆と、その後に休みがあるで。どこへでも行けるよ」
苅川を慰めた。だが、彼が旅行するのかどうか、それは疑わしい。
「そうよ、一緒に行きましょうよ。池上さんも行くし、場所は苅川さんの方が近いやないの」
その通りである。暑中稽古の会場は、五保市の五保商工高校だ。苅川の家からは、例の臨港線に乗ればすぐなのだ。
「いろんな先生方と稽古出来るんや、こんな時にいっぱい稽古したら、腕があがるんや。そう思うやろ」
「うん。それはそうやけど、あんまり気ィが進まへんなあ・・・」
苅川は本当にそう思っているのだろうか。
 
 
  

つづく

桜が綻び始めた晴天の今日、合格発表でした。 5科1クラス 35名定員です
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posted by はくすい at 14:53| Comment(0) | 虹のかなた