2020年12月24日

事務局の年末年始

年も残すところ、一週間となりました。

ダメダメダメの1年間でしたもうやだ〜(悲しい顔)

年の瀬の行事、お餅つきも中止となりましたが、栗赤飯は昨夜炊きました。

寝正月でぶた一直線になりそうです。

事務局は今日までで、新年は1/7(木)となります。

皆さん、体調管理は気を付けて心身共に労わって下さい。

良い年末年始をお過ごしください。

大阪白水会事務局



栗とノーマルの2種類で^^
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2020年12月22日

M35宮坂正春氏遺作 青春小説『虹のかなたへ』連載第2章 その二 悲しみと苦しみ(95)

その二 悲しみと苦しみ(95)
 
明治二十八年に設立された『大日本武徳会』は、柔道、剣道の専門武道家を養成するために、明治四十四年『武徳学校』を発足させ、翌年『武術専門学校』と改称した。入学資格は中学校卒業以上である。
 大正八年『武道専門学校』に改め、大正十五年からは武道教師と共に、中学の国語漢文教師の資格も無試験で取得出来るようになった。募集人数は四十名。柔道科、剣道科各二十名づつである。入学希望者は全国から十倍以上が押し寄せるという、実に狭き門であったのである。
 武專の稽古とは、それは打ち込みと切り返しの基本稽古を徹底して行うのが特徴であった。かかり稽古などは、三年生か四年生になってからであり、あとはひたすら切り返しなのだ。技などは教えず、あきれるほど単純で苦しい猛稽古は、剣道専門家としての基礎を築くことを目標とした、教授陣の考えによるものであった。
 命がけの修業。それは決して、大仰な言い方ではない。剣道科二十名のうち、卒業までに四・五名が脱落して行くのはザラであった。武專でのあまりに激しい稽古のせいで、体を壊す者、不幸にも命を落とす者さえいたのだ
そんな恐ろしい学校を卒業したと言うことを、部員たちは誰一人として実感していないのであった。
 
  

つづく


月明り 君の面影 探してる 【宮阪正春】
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気まま旅 海外編『 中 国 その3 』M38泉谷忠成


海外編『  中 国 その3 』


上海市内ではバレー、「白鳥の湖」を鑑賞しました。
当時の写真でロングスカートの白鳥の湖でした、今では世界最高と言われるほどに、最高の舞踏を見せて頂いていますね! 凄い変化です。    

商社の方が私を寺院に連れて行き、よく見ておいて下さい、と。
その寺院はきれいに清掃され意味が分からなかったのですが、その方は清掃もされず埃だらけの寺院を中日国交樹立記念の当日、宗教の活動を認められた記念日でもあり中国国民は大喜び、およそ 一〜二週間で清掃、磨きがかけられたそうです。
この事実を後世の人達に知らせて行く義務・責任が貴方にはあるのですよ、と強く話されました。
残念ですがその機会が中々ないのが事実です。

気持ちだけが前に向かい走り回っていましたが、実は大病をしていた私がまだまだ回復途中、市内の漢方薬のお店を回り、いろいろ相談、紹介された漢方薬で体調は急回復(一か月分約¥3000現地では超高額)、
感謝に堪えません。

その後、その漢方薬は市中での販売禁止、国の病院扱いのみになっているそうです。
タイミングが良かったのですね。

その時お聞きした話の中で、小児麻痺にも効果のある漢方薬があるのですよ、と自慢されていました。
大変希少で、もちろん国の宝物で市中では扱えないそうです。

肝心の商品の方ではコールテンジャンバードレス3型、¥2900 およそ1万数千着、店頭出し後一週間で全店即完売追加殺到、具体的なコストは言えませんが、大きな利益を得ることが出来ました。

聞きつけた問屋・メーカー一斉に中国貿易に乗り出しました、
二年後にはピエールカルダンが現地事務所を設けて世界が一斉に中国貿易に乗り出しました。
先駆けの道を開くことが出来ました。

次の出張では綿コール天ジャケットの生産でまずまずの成果を出すことが出来ました。





ロングスカートの「白鳥の湖」
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