2020年10月27日

気まま旅 海外編『 インド その2 』M38泉谷忠成




百貨店(あまり大きくない)に行きました。
紅茶をすすめられ買う事にしました。
現地の紅茶栽培はイギリスの会社が管理しているので輸出の制限と管理、行先が決まっているそうで、本当に美味しい紅茶はここでしか買えません、との事。
ダージリン紅茶を買って帰りました。
見事に透き通った血のような赤で味も最高、日本国内で今だかって味わうことはできません。
現地では現金で買えません、チケットに交換しての買い物でした。

都市名ボンベイは現在ムンバイと呼称を変更しています、
現在インド最大の金融商業都市(首都はニューデリー)に大発展しています。


日本の万博後首都は東京、大阪は一大金融経済産業都市へ! 更にスマートシティも! 
カジノも出来るかも(う〜ん、???) 

交通網の拡張・世界のブランドショップ集合・ショッピングセンター・海浜リゾート などなど、夢が拡がりますね!(港・大正・此花・咲洲・夢洲、大きく変わりますよ!)。
万博テーマは 未来都市・自然・愛・環境などなど。皆さんは如何ですか! 
ムンバイの発展の姿と併せて勝手に創造してしまいました。
※参考に現在の世界最大金融セクターはニューヨーク・ロンドン・シンガポールになっています、大阪も加わればいいですね。

話は戻って、当時のインドは心根の優しい人ばかりでした。
42年前の話です。
現地製品の生産、日本としては初めての経験です。
現地生産のインド綿ブラウス、日本全国に一大ブームを巻き起こし、超売れ筋大ヒット商品になりました。
年配の方ならほとんどの方がご存知だと思います。
更に二年後、他の量販店が大々的に展開しています。

当社は開発から二年で手を引いています。
同様のものは何時までも長続きしない、更に進化が私の信条です。





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〇補足(ムンバイの歴史を少し)
1534 ポルトガルがボンベイと名付ける
1661 ポルトガル王女がイギリスのチャールズ二世と結婚する際ボンベイは結婚の持参金としてイギリスに委譲
1668 イギリスがボンベイをイギリス東インド会社に貸し付け(インド西海岸における海運・貿易の要に
1861 以降綿織物産業が飛躍的に発展
1995 正式にボンベイからムンバイに
2016 世界都市ランキング44位に、首都ニューデリーを上回り現在に至る


posted by はくすい at 17:24| Comment(0) | 旅だより

M35宮坂正春氏 執筆の青春小説『虹のかなたへ』連載第2章始まる!その二 悲しみと苦しみ(91)M35宮坂正

その二 悲しみと苦しみ(91)
 
次の日。練習終了後、剣持先生は試合の講評をした。みんなは固くなって耳をそばだてた。
「どうやお前たち、試合に勝ったら嬉しいやろ。今回はクジ運に恵まれたけど、それでもベスト十六に入れたんやから、大したもんや。その成績は評価しておくぞ。この次はベスト八を狙うんや。その次はベスト四、と目標を順番に上げて行くんや。但し、試合はそう都合良く簡単に勝てるワケがない。勝つにはそれだけの練習を積まなければならんのやぞ」
割と普通の表情で、珍しく成績を褒めてくれた。では、あの試合の終了後、苦虫を噛み潰したような怖い顔はいったいなんだったのだろうか。
『どんな文句を言われるのだろうか』と戦々恐々としていた部員たちの顔が急にほころび、ゆるんだ空気が道場に流れた。
 真実子と顔を見合わせたが、お互いにニコリともしなかった。それは、この剣持先生の言葉が気になったからだ。この先生が、そう簡単に人を褒めたりするような人物ではないのだ。今の言葉の裏に何かがあるはずだ、と感じ取ったのだ。先生はさらに言葉を続けた。
「俺がこの学校へ来てから二ヶ月と少しやけど、その間、お前らはよう頑張ったと思う。以前は指導者がおれへんかったのやから、練習を基本から外れて無茶苦茶にやっておった。それは仕方ないこととして、これから先、もっと試合に勝って欲しいと思うのや。それで、俺も考えている事があるよってに、みんな俺に付いて来て欲しいのや。頼んでおくぞ、分かったな」
先生の言葉に全員が
「ハイッ! 分かりました」
と元気に答えた。『そらっ、来たぞ! 』と思った。先生は何か特別に厳しいことを考えているようだ。

  

つづく

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posted by はくすい at 17:05| Comment(0) | 虹のかなた

2020年10月20日

気まま旅 海外編『 インド その1 』M38泉谷忠成




当時インド ボンベイには香港経由で11時間、隣に座った黒人男性、とにかくよくしゃべる、
こちらはしどろもどろ、
窓の外を眺めて話をそらそうとするが許してもらえない、
スタート早々から寝ることも出来ない苦しい出発でした。

現地には日本の商社の方が迎えに来て下さっていました。
出発前、その方は出来るだけの応援をします、
ただ条件はインスタントラーメンを持てるだけ持って来て下さい、との願望。

現地に行ってその意味がよく分かりました。

空港を出るなり、赤ちゃんを抱いたお母さんたちがこの子に何か食べさせて下さい、
と取り囲まれることから始まりました。
既に注意を受けていました、
思いはあっても心は苦しくとも、
物を与えないでください、
それは一人にあげると取り囲まれて収拾がつかなくなるからです、と。

日本との貿易は日本の大手原糸メーカーが現地工場を作ったのが初めて、
但し現地人を採用、
生産された製品の販売はインド国内ではしない、
すべて日本に持ち帰るとの条件で現地工場の設置が認められたそうです。

縫製工場に訪問しました。
現地で手を洗おうと思って水道の蛇口をひねると、そばにいた現地の人が素早く器を持って来てこぼれた水を受けるのです。
工場の責任者がこぼれた水を上げて下さい、
飲み物にも不自由しているんです、と。

工場の片隅では高齢のおばあちゃんが糸を紡いでいました。
工場では機械で糸を紡いでいるが敢えて仕事を取り上げないように非効率でも仕事を与えているのです、と。

工場の庭は庭園で一周するのに車でおよそ30分以上かかるとも!
日本では国立公園に値するとも! 

現地で食事、勿論カレーライスを注文しました。
出てきたのは、ぱさぱさの米の上にカレーの具が少し、
ところがその具の中に新聞紙・木片など、驚いて聞くと、
よくある事です、と。

チキンラーメン持てるだけ持って来て、との意味がよく分かりました。
社長さんと外人向けのホテルで食事に誘われました。
そこでは高級料理(・・・肉)
街中では食べられないのでお客さんが来て頂けると、このようなホテルで食事ができるので大歓迎です、とも。

当時は貧富の差があまりにも大きい事を思い知りました。



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posted by はくすい at 16:47| Comment(0) | 旅だより