2018年11月27日

C42のクレパス画家 田伏勉 氏 来校される!

今日の午後、クレパス画第一人者、田伏勉 氏(C42卒)が来校されましたわーい(嬉しい顔)

目的の一つは泉工の現在、二つ目は高校三年の時に描かれた作品の確認、三つ目は白水会事務局に飾るクレパスがの寄贈でした。

私の先輩でもある田伏氏と記念誌を見ながら、移り変わった校舎の様子や持参下さった学生時代のお写真見て、話が盛り上がりました。

二つ目の高校三年の時に描かれた絵を観に、AC棟4階美術室前廊下に出向きました。
美術専任の寺田先生と少しお話をし、現在の美術部員は3名だと教えて頂きました。

田伏氏はとても気さくなお話上手で話題もも多く、学生時代の思い出を楽しく聞かせて頂きました。

これからも、ブログで田伏氏の展覧会や個展を紹介致しますので、応援宜しくお願い致します。



寄贈して頂いたクレパス画
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高校3年の時に描かれた大作
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気まま旅『北海道編 その一』M38泉谷忠成

「私の趣味」気まま旅  

海外は仕事中心の一人旅、紙上で表現できない事の連続、機会があればにして、ここでは日本の国内(全国)を紙上で旅したいと思います。

その前に、娘・孫たち主人の転勤でアメリカ、オハイオ州に家族同伴で移住?していましたが、先月やっと無事帰ってきました、嬉しい限りです。
孫娘(中学二年)は今年、全米での大会、コンテンポラリーダンスでグループ優勝、個人4位(但し高校生の中での健闘)全米にTV放映されました。
趣味はジャズピアノ、どんな人生を歩むのでしょう?
しかし日本に帰ってきたのはいいが、ダンス・ジャズピアノ習うところ、練習する処なし。子供・孫たちは悩んでいるところです。
今栃木ですが、やっと埼玉に家を購入し、この12月から住むことになりました。

話は戻って、主題の「私の趣味」きまま旅の話に。娘孫たちのいる関東は、私の好きな思い出深い所ばかりです。
奥日光・尾瀬・裏磐梯といずれも回を重ねていますが、再度旅したいところばかりです。
埼玉を拠点に、年明けて暖かくなってきたら眠りから覚めたように行動するでしょう?
私は趣味での旅・又、仕事を通じて全国各地を飛び回り、隅から隅まで日本の素晴らしさを実感、喜びを満喫してきました。

私は現在74才、今でも旅の趣味は止まりません。団体ツアーはまずありません。
家内と二人で、時には子供・孫たちとも。全国自分の車、子供たちの車で、くまなく寄り道・回り道・目的地変更の気まま旅を続けています。
お許し願えるなら全国各地を紙上で紹介できればと思っています。

「北海道編」その一
初めて北海道に旅行したのは今から50数年前、一ケ月かけての一人旅、全道一周しました。
北は利尻・花の礼文島、航路はいずれも一日一便のみ、今はどうでしょう?
その後、北海道は10数回訪問していますが、当然のことながら激変しています。
網走では受刑者が道路わきの畑で作業、その中を車で通って、行く手にはキタキツネが飛び出す、今は考えられませんね。
印象的に残っているのは野付半島、そこの民宿では地元の北海エビと、あさりを大きなたらいに山盛り、好きなだけ食べておなか一杯にしてほしい、いくら食べても外に行けば、山ほどあってタダ、うちは食事代助かる、と。今では信じられない話。

内海ではエンジンなしの帆立船、幻想的な光景でした。写真は昔と今の野付半島です。
地面から『同じ高さで見る』のと今の木製の歩道の『上から目線で見る』のとは、趣がまるで違って見えますね。

私は大学卒業後、教員の道を目指していましたが、生徒たちと『同じ目線で見ていく』事の重要性を教わりました。
今、あらためてその事を思います。納沙布岬ではすぐ目の前の水晶島(距離7Km、灯台も見える)、歯舞群島がソ連領土、考えさせられました。


〇「サハリンを遥かに望む街に来て狭き日本の土を踏みしむ」         田島ひろし

〇「人気無きノシャップの浜に群れて咲く 花の姿のあまりにも清し」      近藤多鶴子





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50年前の野付半島の私の写真です
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posted by はくすい at 15:17| Comment(0) | 旅だより

2018年11月22日

M35宮坂正春氏 執筆の青春小説『虹のかなたへ』連載開始!その一 異郷の空へ(80)

その一 異郷の空へ(80)
 


十一月の下旬に、高体連による剣道の地区大会が予定されていた。その大会に出場したい、と思っていたのだが、海山チームのレベルの低さを熟知しているので、申し込むべきかどうか躊躇していたのだ。
 けれども、この草山真実子が戦列に加わったから、たとえ相手が強豪であったとしても、一矢報いられるかも知れない、そう思ったのだ。だが、そこにもう一つの問題があった。それは、彼女が紛れもない女子だと言う事である。小・中学生ならば良いが、高校生の試合で女子が出場した話を、今まで聞いた事がなかった。事実、昭和三十年代の前半には、女高生剣士は皆無に等しかった。稽古しているだろう女生徒が各地に居たかも知れないが、公式な試合には参加しなかったのである。
「先生。どうしましょうか、申し込んでもエエでしょうか」
「ウム、そうやなあ・・・。『モノは試し』という諺があるぐらいやし、ええ経験になるから、一度やって見ろ」
その一言で、大会へ参加の申し込みが決まった。
「今度の、地区大会へ出てみようと思うてるんやけど、どう思う? 」
部員に相談すると、その反応と表情は複雑であった。
「負けるのが初めから分かってんのに、なんで出るんや」
「おもろいやんけ、出ようや。一回でも勝てたら、大したもんやで」
「オレは試合に出てみたかったんや。ゼッタイに出ようぜ」
「そうや。試合なんか分からへんで。やってみる価値はあると思うで」
など、意見は様々であった。
 ここから先は、マネージャーの片山美紀の出番であった。恵と二人で、和歌山市にある高体連を訪れて、地区大会の申込み書を提出した。
 選手の名簿を受け取ったとき、その中に女子の名前があるのを見て、係員は『オヤ? 』と首を傾げた。そして別席の上司らしき男と、やり取りをしていたが、そのまま受理をした。


  

つづく


空港にてニョロニョロ黄ハート
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posted by はくすい at 15:58| Comment(0) | 虹のかなた