2018年05月10日

M35宮坂正春氏 執筆の青春小説『虹のかなたへ』連載開始!その一 異郷の空へ㊱

その一 異郷の空へ㊱
 


流れる汗とともに、時間が無情なまでに早く過ぎて行く。家から学校に来る。学校から家へ帰る。その往復の時間が惜しいのだ。このまま、この道場で寝起きすれば、その分、作業を進められる。とにかく時間が欲しいのだ。一日の二十四時間がもっと長くあって欲しい、と思った。一日が三十六時間であれば、もう少し長く作業が出来るのに・・・。自分と時間との闘いであることを深く感じた。『気弱になってはいけない、気を強く持つのだ』と自分自身に言い聞かせた。やり遂げなければならないのだ。

 そうするうちに、床面全体がゆっくりと乾いてきた。試しに、端から端まで摺り足で歩いてみた。そう、剣道の足さばきでの摺り足である。床の板の細かい傷や割れ目などが、足の裏を通して良く分かるのであった。全面を歩き終えると、今度はノミと切り出しナイフを手に持って再び歩いた。足の裏に僅かでも引っ掛かる所があると、床面の傷を見つけるのだ。そして、ノミと切り出しナイフを使って、ささくれている部分を削り取るのである。

 それは実に、根気と力のいる作業であった。床に腰を降ろし、両手の指に力を込めて、板を少しづつ、目立たないように細かく削り取るのだ。その数の多いこと、夥しい限りだ。ものの二十箇所も削っていくと、疲れが抜け切れていないその体は、肩や腰にギリギリと激痛が走って来るのだった。
 額から、顎を伝って汗のしずくがポタポタと、手元に落ちてくる。両手の指先には大きなマメが出来ている。それがつぶれて薄皮が剥げ、液体が流れ出た。そこに汗ががかかって、恐ろしく痛い。傷口に塩分が染みるのだ。

 歯を食いしばり、苦痛と激痛に耐えた。洗い場で傷口を洗った。そして清潔な手拭いを、縦に手で細く切り裂いた。それを包帯の代わりにして、指先と手の平にグルグルと巻いた。
 長くて苦しい時間が掛かったが、最後まで床面を削り終えた。だが、床の整備作業はまだ終らない。当然の様に、床面には石けんの泡カスと、木屑が累々と散乱しているのだ。彼は再び箒を使って、広い床面を掃いた。

 次は雑巾掛けである。細かい砂の様な残骸を、両手で掬(すく)うようにして取り除いて行くのだ。そんな雑巾をすすぐと、バケツの水はすぐに汚れてしまうので、何杯もの水を汲み上げた。それがまた、腰には大きな負担となった。 一歩一歩の、遅々たる歩みであった。道場の端から端まで、何十回も往復しただうか。雑巾掛けだけに、丸々二日もかかったのだ。それでやっと、床面は材木本来の色が甦ってきたようであった。

 次に残っていた防具に手を付けた。古びた面と甲手を、水道の水でザブザブと流しタワシでゴシゴシと洗った。本来は水で洗う代物ではないのだが、そうしたのだ。充分に水を切り、紐を使って軒下に吊るした。乾けば使用に耐えるかも知れない。胴と垂は、雑巾で拭くだけにした。
 竹刀は、竹が乾燥し切っているので、打ち合うのは無理だろうが、素振りや基本練習などには使えるであろう。

 窓ガラスは、雑巾で丁寧に何度も拭いた。梯子を利用し、最上部まで拭いた。割れている処は、透明なセロファン紙を水糊で慎重に貼り付けた。
 電灯の線が十三本もぶら下がっていた。不思議にも電球は全部割れていたので、買って来た三個の電球を取り付けた。そして恐る恐る、壁際のスイッチを入れると、その電球は見事に点灯したのだ。黄色い百ワットの電球である。新しい光が、道場内を照らした瞬間であった。この僅か三本の電灯の光が自分自身にとって、また、これから始まるに違いない剣道部と、その将来に大きな希望の光であると、強く確信したのであった。



  

つづく


干し筍とイタドリとゼンマイのナムルです黄ハート
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posted by はくすい at 15:22| Comment(0) | 虹のかなた